昭和42年7月29日   朝の御理解


 神様がおかげを本当に頂かせてもろうというためには、私がしておると、自分が出来るという間は本当のおかげにはなりません。 本当に神様のおかげを頂かなければ、何一つ出来ることないのである。ここ一寸が実は動かられない私達であるという思い込みが出来るところから、縋らなければおられない。修行させてもらわなければおられない。お参りをしてお取り次を頂かなければおられないということになってくるのです。ですからまあ言うなら本当の神様の十分のおかげを頂きたいと思うなら、先ず自分自身のこれだけは出来ると、言うならば、自信を持っておるようなこと。弁舌爽やかな人は、もう口の先のなら、人に負けないという人がある。自分のいわば、口も話も当てにならないと、ね。
 自分も何にも出来ないけれども、健康であるから、もう働くだけならば、働くことだけならば自信を持っておるという人はです、いっぺん私は自身をなくしてしまう、わなければならんね。これはもうなんでもそうです。
本当にあの神様のおかげを頂かなければでけることではない。そこから神様の十分の働きを受けることが出来る。いや、だからこそ神様に一心に縋ることも出来る。おかげを受けなければ立ち行かぬからであるから、おかげを頂くために、の精進を惜しまないということになるのです。どうでしょうか、自分の本当に、出来るということが実際あるだろうか。よくよく考えて見ると自分では出来ないということが、理屈の上では分かるんですけれども、実感としては出来ないです。
 お広前で色々、御用を頂いておるでも、自分がこの場におらなければ自分がこの御用しなければ出来んように思うたり、思い上がったりしておる人がある。それは人のやるこちゃあるけ、それもだんぢゃない。それではおかげが受けられません。
 昨日、ある方が夕べ、又参って見えられてお届けしておる。あるご信者さんが朝の御祈念でここで、こうふんぞりかえって寝そべって、今御祈念さしておられるというか、そういう姿を心眼に頂いた。それはその人だけのことではなかろうか。皆の中にもそういうものは、ありはしないだろうかと思うたというようなお届けがございましたが、自分がおらなければ、合楽の自分が立ち行かんと思うておる人達がある。御用に使うて頂いてこそ、おかげを頂いておるのであるね。
 この頃から共励部長である大和さんあたり、又企画の方の久富勇さんあたりが、どちらの共励会でも、福岡あたりでも出向いて行かれる。しかもオカダ?の月二回もあるなかを、やっぱり夜中までも使っておかげを頂かれる。で帰って見えてから言うんですね。いかにもこう共励会に臨まして頂いておるというごとある。なるほど来てもらったところもおかげが頂けれるども、それによって自分自身が育てられておるという事が、気付くでしょうかと言うて、話すことでございます、ね。その御用に使うて頂いてから自分自身が育っておるです。ですから私は本当の神様の、十分のおかげを頂きたいと思うなら、先ず自分がこれは、これだけは自分が自信があるといったようなものをですね。もう言うなら、もろくも、ね、真っ向からそれを叩き壊されるされるようなお繰り合せを先に願うことの方が本当じゃと思うです。ね。
 私も本当にあの一日お取り次を頂いておかげを頂いて参って見えられて、なあにも出来なかった。これだけは本当に出来なかった。自分で分かった。何にもでけん、何にもでけんから、商売の道だけは一つ本気で勉強せんにゃならんと思うた。子供の時からそうであった。無器用で頭が良くないし、不器用だし、取り得がない。けども、商売は好きであったから、この道一筋というわけで、商売の道には様々な、もうこれは教え、教えて貰うて、教えられるところではないね。習うとして教えてもろへところでもない。言うならばそのコツアイと言うものを、段々と身につけていっとる。ですから、商売というものは必ず元手がなからなければ出来んということではないと、いうことも、その当時確信しておった。
 引き揚げて帰ってきてから、次々と難儀が続いて、もう普通で謂うならば打ちのめされたというような状態の中にあっても、私はやっぱりあの福岡に全然知らない町に、全然資本を持たずに、福岡の町でいうなら乗り込んだんですからね。勿論、願いはしました。神様に、もうそれこそ今から考えて見ますと冒険この上もない冒険な商売だったと思うんですけれども、本当に置いたものを取るようにおかげを頂いたんです。
 おかげは頂いたけれども、やはり自分にそれだけの一つのコツというか、その自信が自分だっぷりのものをもっておった、ね。全然見もせんも知らない、知っておるのは福岡の教会くらいのことであった、ね。商品一つ持っておるではなし、資本金一つあるわけではないのにです、商売がでけたから不思議である。もう商売なら、そのかわりどんな商売でも、恥ずかしいとも可笑しいとも思わんというのが、私の商売人、私の根性であった。昔で言うなら一貫目ごといったねごいっちょ、あれやぁ商いがでけた。売るのはどこにからなった引き出せれる自信があった。自転車はもうないのに、やはり歩いてでも回るつもりであったんですから、ね。それが日増しに、翌日には自転車は一台おかげを頂いております。ね。考えて見ますと、本当に神様の働きというものを見せて頂いて、おかげは頂いておることは事実です。
 シオカ町にミタテキュウシロウという人が、まあちょっと親分肌の、あの後で分かったんですけども、椛目の時あの御簾の塔を作りましたですね。あれが後から集金にきた人に聞いたら、それがキュウシロウさんのやはり関係しておる工場ででけたということを聞いて、実際びっくりしました。現在おられるかどうか知りませんけれども、もうお年でしたから、シオカ町というと、アラトの教会からそうですね、十町位離れたと、ところです。荒戸の教会に一晩泊まらしてもろうて、あちらで一生懸命御祈念さして頂いて、もうその翌日から商売を始めようというのである。
 そして偶然入りこんだところで、何か面白い商いはないかと言うて入って、それで暖簾が張ってある。店が張ってあるわけなんでもない。まあ、当時は店なんか張ってあるところはなかった。資本を持っておるというならかえって、普通のところ普通の人のような状態のところであったね。何もかにもが闇、闇という時代なんですから、どうもその日はその家に入り込んで話した。まあ、私は風来坊のようにしていって、あんたは面白いことを言うですね。昨日、福岡に着いたばかりとに、もうここで何か商売をする気ですか。もう商売を何かやりたいと、何でもよいから手当たり次第、何か商売になるような、ないでしょうか。そんなことはないでしょうと、えらいあんたは、面白く可笑しくてですね。そしてから歩いてですか。はぁまあ歩いてそれこそ、これは呆れた。まあお茶でも上がりなさいと言うてから、まあ玉露のお茶を熱いお湯でジャーと入れてから、それをもう飲んだり、出したりするのが楽しみで、その四畳半ばかりの部屋には、もうお茶道具がいっぱい置いてあるね。そのお茶をたしなむ人でした。お茶でもよばれてから言われるとても、この広い福岡であんたは商売をするというても、歩いてからどん行ったちゃ、とてもでけんですよ。そこの家のあの倉庫の中に、自転車が一台いってあるから見てごらんなさい。見にいったところが、宮田製のアサヒちゅう自転車あったですね、今でもありますが、その中古じゃあるけれども・・・?ある。はぁ立派なのがありますね。あれを買いなさい。安うして売ってあげるからと、けどお金は一銭もなかです。これはいよいよ呆れて仕舞うた言うわけです、ね。まあよか、あれに持っていきなさい、あれ乗っていきなさい。
 そういうても私は全然見も、見も知らない。ただ私がいつも洋服のここの所にご神米をこう、フサの?ポケットにこう入れておる。だから金光様の信心をすることだけは、なんかの話しから出て分かった。それに信用されたなんか、知らんけんども、まああんたも面白い男だね。とにかくあの部屋のそこには時々キュウキンの方から親戚から反物なんか送ってくる。それをまあ闇商人達に分けてやるといったようなこともしよりなさった。時々寄りなさいよ。ここに寄りなさいよ。ここは面白よかカバンがここにありますよ。それなら私に自転車を五日間貸してください。五日間じゃハヤ、もう所謂、自信たっぷりなんですよね。
 丁度その時分のお金で六千円位、まあ五千円か六千円ぐらいのあいなかのところの金額で決めて、しかも一銭も置かずに、私に自転車を貸してくれた。早速乗られる鑑札もついておった。それに乗ってから、まああっちこっち福岡の町を歩いて、まあ人が売りきらんというてもう困っていっておるような品物を、それだけでなくては借り出す事が出来ませんもんね。
 ・・・・・?、けどもこれゃもう誰も売りきらんといったようなもの、どこんでも、大きな商売人の家にいくとあるんですよ。もう着物のごとある、そういうのなのを借りたりいたしましてから、それも沢山な……?ですよかじゃ、もう少しばかり、五日目に私、全額の自転車を払わしてもらった。
 今、下瀬さんとかヒロシマさんとか善導寺のカワノさんとかそれが次々と私の商売にまあそのお手伝をして頂いた。別に会社組織をしているわけではないけれども、まあ言うなら幽霊会社のようなもんである。言うなら社員が社員が一人ずつ入ってくるたんびに、自転車一台ずつおかげを頂いた。家も借りた。段々おかげを頂いてきた。そしてやはり何十万の取引が段々出来るようになってきて、もう商売のことだけは自信があった。
 私は、その当時、今から考えて見るとですね、やはり一生懸命に稽古をするということも大事、その稽古をしたところですね、神様のおかげを頂かなければ、実は立ち行かんのです。その後も・・・?からも色々とおかげを頂いた。他のことは何にも出来ない。本当にそれは自信がなかった。自信がないと、全然スケナイ自分で思いこんでおる。けども商売させたなら、もうどこからでも、どこのはしからでも、いや資本がなかってもやりれるという確信をもっておった。もう体当たり、だから商売のことなら、可笑しいも恥ずかしいもなかった。それほどにです所謂、自信たっぷりであった商売がです、ぱったり出来なくなったですから、もうそれこそ、歩けども、歩けども出来なかった。その当時・・?繊維も扱っとりましたから、とにかくタオルひとすじが自分の力で売ることが出来ないということが分かった時に、始めて私のいわば一つの開眼があったんです。
 神様のおかげを頂かなければ出来ることではないんだなぁ。どんなに商売に自信があっても、商いに九分九厘まとまっておる、もうここじゃ商いがでけたと思うておる。後一部のところで崩れていった。もうこれも今から考えて見ると、不思議なことであったけれども、いよいよ言うなら、お前なぁーにも出来ない。商売だけならでけると思うておる、その商売だってさあお前の力では出来まいがと言うことを分からせて頂いてから、まあ言うなら私の本当のおかげがそこから立ったと、こう思うですね。
これだけは出来るというそれがですね、慢心です。ですから物事、ご飯一つ炊かして頂くでも、もうこれだけ何十年炊いてきてから出来ると思うておるけれども、あれは出来させて頂きよるとです。お願いせずにはおられん。
 皆さんの心の中に、これだけは自信があると、言ったようなものが、もしあるとするなら、先ず、その自信のほどをですね、大いに発揮してみることもよろしい。私は商売だけはと言うておったから、もうそれこそ、その場合も、もう恥、外聞もなくなって、もう恥と思うてなかった。もう商いのことだったらね、そう嘘も器用に嘘も言えたし、もう本当に自分もたまがるような駆引きも出来たし、もうこうして、こういうことがでけたら、こうなってくるという、もう計算するようなものであった。
 もう商売のことなら、こうすりゃ、ああなら分かった。これや将棋やら碁をさしてが、もうなん石も前の向こうのことが分かると言われるようにですね、何にしても同じです。一つの商品を持っていって、こちらがこう言うて、ああ言やもう絶対、もう売らんと言うちゃって売ってくれと言うもんだと、言うようなその計算するような、はっきり分かった。分かるくらいに、いわば商売の道を稽古した。ただこれだけは、自信があると思うておったその自信が、もろく崩れたことが、実は有難いことであったね。そこから、何にも出来ない、所謂無力でなる、吾であると言う自覚がでけてきた。もう一切があなたのおかげを頂かなければ、ここ一寸が動かれない私達であるということが分からせて頂くところから自由自在に動きが出来るようになり、あらゆるおかげが受けられてくるようになってきた。
 自信というのは、あれは慢心ですよ、実際は。ですから本当に何一つ出来ることではない私というそこからです、神様のお許しを頂いてさせて頂くのであるというところに、慢心がましい態度やらねよう広前に……寝そべっておるような、ような感じの信心は出来ないことになるじゃないですかね。ああでも、おかげを頂かなければ、しかも許されなければ出来る事ではないという、私は先ず自覚に立つこと。ここを教祖は「障子一重がままならぬ身ぞと」仰っておられます。
 障子一重がままならぬ人の身である。こうすると言うことですらが実はたったこれだけのことが出来ないのだ。けれども出けておるのである。それは出来させて頂いておるのだと言うこと。ですから、御礼を申し上げなければおられんのであり、又次には縋らなければおられんのである。女の方が毎日の朝ご飯を炊くということは、当たり前のことでようであるけれども、実は言うたら出来ないのである。これはですね、朝、目を覚ますといったようなことでもそうですよ。今、私が目が悪いですから、昼から休みますから、日にどうでしょうか十時間位休むでしょうね。今ね。三時間しか寝ておらん、二時間しか寝ておらんというような時でもです、もうそれこそ四時半にはもうぱちっと目を覚まさせて頂くにもかかわらず、十時間寝ておってからも、今日なんかもふうと目を、もう十分前、さあ慌ててお便所にいって、洗面して紋付袴を着けさせて頂いて、もう走るようにしてここまでやらして頂いて、本当に五時前一、二分前でしょう、ここであったね。いわばたくさん寝ておるから起きれるということではないんです。神様のおかげを頂かなければ目覚まし一つが出来んのですから、もう夕べ寝ておらんから、眠れん、そんなことはないです、ね。神様のおかげを頂かなければ、目覚まし一つが出来んのですからね。それで夕べでもなんでも早く、早くといえでも、もう十一時ここを閉めたら。
 もうその目を使うてはいけませんから、そのまま休んでおる。それでいてそんなですから。ね。まあ皆さんもそういうことから、色々と思い当ることがあろうと思うけども、もう一事万事に私が出来ることはない。本当に生かされて生きておるんだ。お参りさして頂いて、許されて参らせて頂いておるんだと、ね。そこのところから、私は所謂、神様十分のおかげというものが、そこから頂けれる。だから、それが分かっただけではいかんね。分かるからこそ、縋らなければおられぬである。どうぞ朝の四時半には目覚めのおかげが頂きますにという、縋らなければおれんものがあるて、これだけ自信を持っておるということでも、その自信をいっぺんかなぐり、かなぐり、なくしてしまう。そしてあなたのおかげを頂かなければ、でけることではないというところから、縋らなければおられないものが生まれてくるのであり、縋っても、おかげを頂けんところに、修行でもさせてもらわなければおられんというのであり、そこから神様のおかげを十分に頂けてくるようになるという事ですね。  どうぞ。